僕が医師になろうと思ったのは、「病院で死ぬということ」という本を読んだのがきっかけでした。
末期癌の患者さん達の闘病と死に向き合った医師の記録です。そこには死にゆく患者さんと理解し合い、その人の魂に聴診器を当てた医師の姿が描かれていました。病院は、人が死んでゆくのにふさわしい場所だろうか?延命治療が当たり前に行われる現代の医療現場に疑問を持った著者の山崎章郎先生のノンフィクション作品です。
終末期医療をやりたいと思ったわけではありませんが、医師という仕事は、ただ病気を治すだけでなく、人の人生に寄り添う仕事だと感じました。人と心が通じ合い、信頼され、命さえも預けられる。この仕事なら心が震えるような感動があるに違いない。そう思って高校一年生の時に医師になることを決めました。
医師になって目指したのは「メスを持つ内科医」。外科医になることは決めていましたが、その前に内科医として5年働きました。
これは、自分自身も気をつけないといけないと思っていることですが、医師はプライドが高いです。患者さんからよくわからない症状を相談されたり、よく知らないことを聞かれると、明らかに不機嫌になります。自分の知識が足りないだけなのに、患者さんを叱りつけたりすることもあります。
僕は、自分の専門じゃないからと患者さんを断るのがすごく嫌です。それで行き場を失っている患者さんがたくさんいます。とにかく断らずになんでも診る。医師としてそういうマインドをまず身に付けたいと思い、日本一忙しい病院と言われていた湘南鎌倉病院で、まずは内科医として経験を積んだわけです。
そして、その後、聖路加病院で5年間の外科研修をし、無事外科専門医となりました。ずっと外科医としてやっていくつもりでしたが、色々ときっかけがあって考えを変えました。
外科医として働いている間、同年代の医師や看護師が突然、脳卒中や大動脈解離や癌で倒れるということが相次ぎました。偶然かと思いましたが、そうではありませんでした。
24時間病院に拘束される働き方。ストレス。めちゃくちゃな食生活。医師なのにタバコ。冷静に考えれば、そりゃ病気になるよねって感じです。彼らが病気になったのは必然で。明らかにライフスタイルに問題がありました。
数年前の僕もタバコを吸わない以外は彼らと大差がありませんでした。医師になって体重は+20kg。常に疲労感があり、徒歩10分の距離もタクシー。24時間病院からいつ呼び出されるかわからない緊張感。携帯が鳴ると、病院以外からの電話でも心拍数が上がり、冷や汗が出る。安心してぐっすり眠れる夜などありませんでした。
勤出前に毎朝おえつが止まらず、妻に背中をさすられる自分の異常さに気づきました。この生活をあと10年続けた未来の自分にいったい何が待ってるのだろうか?これは決して他人事ではない。自分が倒れたら妻はいったいどうなるのだろう?確かに人の命を救う、医師としての使命は大切です。それをやりがいに、自ら厳しい環境に身を置いて駆け抜けてきました。でも自分自身の健康については全く無視していました。
同じ時期に身内でも不幸があり、父から相談されました。
「貴之、俺は癌になりたくない。癌にならないためにはどうしたらいいんだ?」
その時、僕がした返答は、
「うーん。消化器の癌だったら俺が何とかしてあげる。」
そして父に言われたのは、
「どうしたら癌にならなくてすむかって聞いてるのに、知らないのか。医者なのに、頼りにならない奴だな。」
その時、ハッとさせられました。それまで僕がやってきたのは、病気になった人をいかに診断し、治療をするかという医療でした。でも、病気になることを恐れ、不安に思いながら生活している人もいる。そんな人に対してどこまで真剣に向きあっていたか思うと、全くできていない自分に気づきました。
「病気になってからする医療」と「病気にさせない医療」
家族にどちらの医療を受けさせたいですか?僕は絶対的に後者です。妻が乳癌になったら手術を受けさせれば良いのか?両親が認知症になったら、施設に預ければ良いのか?そうは思えないからです。今まで目も向けてこなかった予防医学を学びたいと思うようになりました。
医師としての価値観が変わり、患者さんへの対応も変わりました。手術後の患者さんに、なぜ病気になったのか?原因になった生活習慣は何なのか?再発を防ぐためにできることは?チームでの回診を終えた後に、一人で患者さんの部屋に行き、説明して回るようになりました。
でも、外科医のルーチンワークの中でこれを全ての患者さんにするのは無理でした。伝えたいことがありすぎて、時間が足りない。限られた診療時間の中では大切なことを伝えきれない。病院の仕組みは予防にエネルギーを注げるようにはできていない。
そして、ついに決断したわけです。自分は「病気にさせない医療」で貢献したい。そういう貢献の仕方をする医師がいてもいいのではないか。病院でできないなら、自分で仕事を作ればいい。 2019年の春、聖路加病院を退職し、外科医のキャリアを終えました。外科医として指導していただいた先生方には本当に申し訳ないという思いでいっぱいです。でも、それ以上に、自分が思い描いた夢を実現したかったのです。
聖路加病院を退職し、小さな事業を立ち上げました。はじめは健康教育から始めました。4年間で1,000人を超える方が僕のもとで勉強してくれました。体の不調に悩んでいる方、家族の健康を心配して勉強に来られる方、僕と同じように予防の分野で仕事をしたいと思っている栄養士さん、看護師さん、理学療法士さん、ヨガの先生、お医者さん。僕のもとで勉強された方々が、健康になるお手伝いをすることが僕の使命です。そして、同じ志を持つ仲間と予防医療チームを作ることが僕の夢です。
2022年に事業を法人化して会社を立ち上げました。主な事業は、健康教育・予防医療事業・医療系フリーランス育成です。ゆくゆくは、予防医療分野のエビデンスをより確立するために、臨床試験も行っていきたいと思っております。
まだまだ小さな事業ですが、より大きな影響力をつけるべく邁進していきます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。